22.09.26A 鎌倉「英勝寺」彼岸花と萩の花が咲く頃 _ 鎌倉市扇ガ谷
室町時代後期の武将で(徳川家康以前の)江戸城を築いた
太田道灌邸跡、現在鎌倉唯一の尼寺
「浄土宗東光山英勝寺」総門 _ 鎌倉市扇ガ谷
01) 特別期間を除いて惣門は閉じられ、通常は通用門から入山。
寺務所前の芙蓉と高木を同時に撮ったつもりだけど・・・
・・・意味不明なヘボ写真。 _ 鎌倉市扇ガ谷
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02-1) 伽藍の先頭≒(今回写真なしの惣門~)鐘楼、山門へ至る参拝順路から。
進行方向左側の、彼岸花咲く庭園。
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02-2) 進行方向左側の、彼岸花咲く庭園。
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02-3) 進行方向左側の彼岸花を、鐘楼方向。
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03-1) 進行方向右側の彼岸花を、仏殿方向。
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03-2) 進行方向右側の彼岸花を、山門の裏方向。
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04) 鐘楼。 格式が高い寺院に特徴的な、「袴腰」の鐘楼。
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05-1) 山門の遠景。手前下の彼岸花~ 一部の葉が色づいたカエデ、奥の芙蓉。
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05-2) 芙蓉と山門の近景
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05-3) 芙蓉の花をズームアップ
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05-4) 山門の全景。 05-1)の反対側で、
(今回参拝割愛)’ 太子堂 ’ & ’ 観世音日札像堂 ’ への階段下周辺から。
< cf. https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2021-02-14#more >
徳川家の保護により嘗ては広大な寺域だったそうだが、
現在のは写真右枠外は民家は迫っているので山門表正面全景は撮れない。
< 蛇足で: 当寺院から今小路を少し進んだ場所をスルーされがちだが、「隠里稲荷神社(智岸寺稲荷)」と
十六夜日記の 伝 ’ 阿仏尼墓所(供養塔) ’ も英勝寺の寺域だったそうだ・・・ 今は路傍で・・・
息子で冷泉家の祖 冷泉為相の墓(供養塔)は、向かい合うように「浄光明寺」の山頂付近に在る。 >
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06) (今回参拝割愛)’ 太子堂 ’ & ’ 観世音日札像堂 ’ への階段と、
大木の太い幹周辺の彼岸花。
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08) 小窓を開けて堂内拝観&拝礼をしたが建物外観撮影を割愛した、
’ 仏殿 ’ 前から右方向の石橋と 02)の彼岸花咲く庭園。
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09) 上段境内の、竹林庭園方向(と、今回撮影を割愛した ’ 書院 ’ 方向)。
写真が趣味ではない私は、これでも手前の ちゃんとした名前がある草花と一緒に
あざとい構図に挑戦したつもりだったが・・・ 花の色などスッ飛んだ・・・ ヘボ写真。
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10-1) 竹林庭園
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10-2) 竹林庭園
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11) (今回は建物の撮影を割愛した)’ 書院 ’ 前の庭園。
全体の遠景写真なしだから、意味不明なヘボ写真。
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12-1) 書院前庭の、石垣スレスレで咲く萩を撮ったつもり。
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12-2) 萩の花をズームアップ
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13) 書院前庭の、石垣スレスレで咲く萩の花。
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